まるでアパッチ野球軍…昔の芝浦はすごいところだった
- 2019/01/01
- 08:52

『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』の著者デリク・クラークは、日本には1年8ヶ月ほどいたが、最後の1年は芝浦で労働していた。芝浦というのは芝浦駅(貨物専用駅)があった日の出埠頭周辺のことである。現在、水上バスや東京港を眺めるクルーズ船が発着する日の出埠頭は、高層ビル群にレインボーブリッジなど東京港の美しい景色を構成する一要素となっている。しかしそこで昔、外国人捕虜たちが労働していたことを知る日...
日本の捕虜収容所の食事、「うまい」という英国兵と「豚のエサの方がマシ」という米国兵
- 2018/12/30
- 08:24

大森捕虜収容所いちばん右がハリー・ベリー大森捕虜収容所の英国人捕虜ハリー・ベリーが、収容所と作業現場の食事内容を日記に記録しており、その内容を以前このブログで紹介した。何らかの評価が書かれている食事は全部で138回あった。そのうち高評価(うまい)は78%、低評価(まずい)は12%。大森捕虜収容所にいたときの食事はそんなにひどいものではなかったことがうかがえる内容である。しかし、ヒレンブランド著『ア...
輸送船の護衛につく空母ヨークタウンと戦艦ニューメキシコ
- 2018/12/24
- 17:59

クラークが英国からカナダまで乗船したSSオロンセイ「グリーノックを出港して3日後の日曜日朝、船の汽笛と航空機の音で目が覚めた。甲板に上ると艦隊が見える。米艦隊だ。駆逐艦、巡洋艦が数隻、戦艦、空母が各一隻。その艦載機が我が船団上を低空飛行し、バンクを振る。オロンセイが汽笛を鳴らす。耳をつんざく音量だ」これは『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』の著者クラークが、輸送船オロンセイで英国を出航3日後、1941...
『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』が出版されます
- 2018/12/23
- 14:40

私が翻訳したデリク・クラーク著「No Cook's Tour」が2月末頃にハート出版から出ることになった。まだ正式な書名は決まっていないが、『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』という仮のタイトルがついている。この本は捕虜の手記の中では異色である。たいていの捕虜体験記は、日本人による捕虜虐待の部分が目立ち、読んでいて日本人なら気が重くなるものが多いが、この本はそうではない。これは“冒険物語”といったほうがよい内...
終戦後、米国人捕虜から病院長に手渡された感謝状
- 2018/08/15
- 15:23

ヒレンブラントが「アンブロークン」で描いたように、日本軍の捕虜はひどい虐待を受けていた、という認識は今や世界の常識となっている。確かに理不尽でひどい虐待はあったし、盗みを働いた捕虜などに対し、体罰を加えることもあった。体罰を加えるだけの理由もあり、日本軍の中ではそれは一般的なことではあったが、連合軍捕虜にとっては屈辱であり、深い恨みとして残るものであった。それとは対照的に、捕虜を極めて人道的に扱っ...