病院船の標識に気づき、急きょ目標を変更した日本海軍航空隊
- 2019/01/09
- 14:42
![]() 洋上を飛行する96式陸攻の編隊 |
『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』の著者クラークが乗る輸送船エンプレス・オブ・アジアは、シンガポール島を目前にして、日本軍機の爆撃を受けて撃沈された。その時の状況は本書に詳しく書かれている。撃沈したのはどの航空隊なのか、調べてみると、陸軍飛行第90戦隊第1中隊であることがわかった。その指揮官が意外な人物だったのだが、それは次回にお話しするとして、今回はその前日の話。
クラークが所属する第251工兵中隊はインドでの訓練の後、1942年1月23日にエンプレス・オブ・アジア(アジアの女帝)でボンベイを出港し、アッヅ環礁、バタビアを経由して、バンカ海峡を通過、シンガポールに向かった。
エンプレス・オブ・アジアが撃沈されたのは2月5日であるが、その前日の4日、バンカ海峡通過中も空襲を受けている。
船団BM12の輸送船は、エンプレス・オブ・アジア他計5隻からなり、シンガポールに約6千名の兵員と物資を増援しようとしていた。それを護衛するのは重巡1、軽巡1、駆逐艦2、スループ(コルベットより大型の艦種)2の計6隻。
1月31日にボルネオのクチン基地に進出していた海軍の元山航空隊クチン派遣隊は、2月4日午前9時、96式陸攻9機が索敵攻撃で発進。各機が搭載するのは60キロ爆弾4発。指揮官は二階堂麓夫(ろくお)大尉(海兵63期)。先のマレー沖海戦、その後の珊瑚海海戦でも96式陸攻で敵艦に水平爆撃を敢行した人物だ。
![]() バタビア発シンガポール着のBM12船団の経路と空襲地点 |
以下、その日の飛行機隊戦闘行動調書から引用。
1300 バンカ海峡デルタ角沖に於いて重巡一軽巡一駆逐艦四に護衛中の敵輸送船団を発見(二万屯級二隻一万五千屯級三隻の防御砲火を冒し二万屯商船に対し第一回爆撃六番四弾直撃大火災を生ぜしめ之を撃沈す
1305 船団上空哨戒中の「ハリケン」一機と空戦之を撃退す
1320 第二回爆撃針路に入るも敵防御砲火極めて熾烈にして嚮導機は右発動機燃料パイプに被弾。右発動機停止せる為め照準を失い命中弾なし
艦種、隻数の報告は正確であったが、2万トン級商船1隻撃沈という戦果についてはどうか。
二階堂大尉の編隊が爆弾を落としたその下にいたクラークは、この時のことを次のように書いている。
航空機のエンジン音が聞こえてきた。見上げると、空には次々黒い点が見える。全部で27個だ。こんなところを友軍機が飛んでいるはずはない。ジャップだ!
護衛の重巡洋艦は急いで探照灯で信号を送ってくる。船団は陣形を解き、散開。三角形の編隊を組んで日本軍機はどんどん接近してきたが、まだ高度は高い。翼に赤い丸が見える。重巡洋艦が砲門を開き、砲撃開始。我が輸送船の3インチ高射砲も火を噴き、その衝撃で船尾が振動した。
黒い炸裂煙がジャップの機の周りに次々と開いていく。だがジャップは編隊を崩さず、向かってくる。敵機は直上に達した。
ヒューーーッ! ドカーン!
我が輸送船の右舷側で紅蓮の炎が上がった。
ドカーン!
左舷側でも爆発した。大きな水柱が立ち昇り、その水が落ちてきて我々はびしょ濡れになった。
爆弾の落下音を聞いて我々は身を伏せていたが、誰かが叫んだ。「みんな、中へ入れ!」
機は再度旋回している。やつらはもう一発落とすつもりだ。
いや違う。やつらはこっちには向かってこず、帰投していった。
二階堂大尉の編隊は、エンプレス・オブ・アジアに照準を合わせ、18発の60キロ爆弾を一斉に投下、結果は日本側の報告とは異なり、エンプレス・オブ・アジアに至近弾5があったものの命中弾はなく、ほぼ無傷だった。次の第二回爆撃では先頭の軍艦を目標としたが、対空砲火が熾烈で爆弾投下前に二階堂機はエンジンに被弾、照準不能となり爆弾を投棄して帰投している。
二階堂大尉はこの攻撃について、次のように興味深い証言をしている。
カリマタ海峡、バンカ海峡方面へ毎日のように出撃しました。ある日、輸送船六隻が走っとるのを見つけましてね、爆撃しようとしたら爆撃手が、「病院船の標識がついていますっ」って怒鳴るのです。そこで、「別のを狙えっ」と命じてコースへ入ったら、先頭に駆逐艦がいるじゃないですか(※おそらく重巡エクセター)。では、輸送船には爆弾半量を使って、残りはこれをやろうと決めました。
それで、輸送船一杯に命中弾を与えてから駆逐艦に向かったのですが、敵弾がバンバン飛んでくるんです。飛行機のまわり、ドンピシャリの高度で爆発しましてね、ついに、あと二、三秒で爆弾投下というところで右舷のエンジンが止まってしまった。
(雨倉孝之著『飛行隊長が語る勝者の条件』光人社)
最初に目標にしたのは、おそらくエンプレス・オブ・アジアよりやや大きいフェリックス・ラーセルであろう。実際はその船団には病院船は含まれていなかったので、病院船の標識を擬装していたのか、あるいは何かそれらしいものを誤認したのか。いずれにせよ、病院船に対する攻撃は避けよ、ということが搭乗員たちにしっかり意識されていたことがわかる(日本の病院船は米英軍に何度も攻撃されている)。
![]() 二階堂麓夫少佐 |
マレー沖海戦では、二階堂大尉の元山航空隊第3中隊は、駆逐艦を戦艦と誤認して投弾、しかも命中弾なしという結果となり、肝心の戦艦攻撃には参加できなかった。複数の要素がからんで起きた過誤であったが、二階堂大尉は部下をかばって全部自分の判断だということにしていたという。
大戦末期、二階堂少佐は、神雷部隊、攻撃第711飛行隊の飛行長となり、桜花特攻で全滅した野中五郎少佐の後任を務めている。
次回は、元山航空隊の攻撃をかわした翌日、クラークの乗るエンプレス・オブ・アジアが陸軍航空隊に撃沈される話です。
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