日本の捕虜収容所の食事、「うまい」という英国兵と「豚のエサの方がマシ」という米国兵
- 2018/12/30
- 08:24
![]() 大森捕虜収容所 |
![]() いちばん右がハリー・ベリー |
大森捕虜収容所の英国人捕虜ハリー・ベリーが、収容所と作業現場の食事内容を日記に記録しており、その内容を以前このブログで紹介した。
何らかの評価が書かれている食事は全部で138回あった。そのうち高評価(うまい)は78%、低評価(まずい)は12%。大森捕虜収容所にいたときの食事はそんなにひどいものではなかったことがうかがえる内容である。
しかし、ヒレンブランド著『アンブロークン』では、大森捕虜収容所の食事は、まるで人間の食べ物ではないかのように書かれていた。
私はそれに対して、原爆投下の正当化のために、日本人を悪魔のような存在として描く必要があって作り上げられたプロパガンダ、というような分析をした。
しかし、ハリー・ベリーの日記とは違い、ろくでもないものを食わされたと言っている捕虜が大勢いるのもまた事実だ。
それで思い出したことがある。私は中学を卒業して全寮制の学校に入ったが、食べ慣れない寮の食事を最初の頃はよく残したものだ。中には実家に帰ったときに、親に「あんなマズイものは食べられない」と言う生徒もいて、親が学校に「おたくはいったいどんな食事を出しているのか」とクレームを入れるケースもあったという。そして父兄の学校訪問の時、親たちにいつも生徒が食べている夕食が出された。甘い煮汁のかかった煮魚に梅干しという生徒たちが大嫌いなおかずだったが(骨を取るのが面倒)、親たちは口々にうまいうまい、と言って食べていたそうだ。
大森収容所の食事の場合もそれと同じことが言える。英国人と米国人で反応が違うのだ。
英国人捕虜のウェイド中尉はその著書で、米国人は英国人よりも高い生活水準に慣れていたため、貧しい日本の食事レベルに順応するのは困難だったが、英国兵にとっては、ロンドンやグラスゴー、ランカシャーの貧困層の水準に比べればそんなにひどいものではなかった、というようなことを書いている。
英国人捕虜ハリー・ベリーの日記で、大森収容所の食事に高評価が多かったのもうなずける話である。
英軍米軍の食事に質、量とも格段の差があったことは、『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』の著者デリク・クラークも書いている。クラークがカナダのハリファクス港で、英輸送船から米輸送船に乗り換えた直後の話だ。
その日の夕食に出たのは、フランクフルト(我々はゴム・ソーセージと呼んだ)、ザワークラウト(キャベツの漬け物)、ポテトサラダ、豆料理、桃、コーヒー(砂糖もクリームも好きなだけ)、口の中で溶けるようなパンにバター、ジャム、それにアイスクリームだ。なんて豪勢なんだろう。
それでクラークは、帰国時に英軍の船に乗ることをいやがっていた。
米国人にとって日本の収容所の食事が大いに不満のあるものだったのは事実だろう。それに加え、当時白人にとって奴隷か使用人でしかなかった有色人種にこき使われた怨みもある。その怨みが強い者ほど、日本での体験を何から何まで否定的に述べ、また本国の人間にも、元捕虜の口から日本の悪口を聞きたがるという風潮もあった。そういったバイアスにより、話がどんどんオーバーになり、最終的にヒレンブランドによって、とても人間が食べられるものではないものにまで昇華されてしまった。それは客観的な評価とは程遠い。
ハリー・ベリーの日記の評価との解離はそのようにして起こったものだと思われる。
元捕虜のルイス・ザンペリーニは自著で、豚のエサのほうがマシとまで言っているが、冒頭の寮の食事をけなす高校生と同じようなものであり、そんな話を真に受けるべきではないだろう。
ヒレンブランドは『アンブロークン』で意図的に書かなかったことがある。ヒレンブランドが言うところの、人間の食うものではないような、ひどい捕虜用の食事を作っていたのは、実はその捕虜たちだったのだ。
米海軍のチャールズ・クラーク中尉が大森収容所の炊事場の担当士官で、英軍兵士数名が調理員としてその下で働いていた。そして日本側の福田軍曹以下4名と協同で、捕虜たち約600名の食事の用意をしていたのである。
そのあたりの情報は『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』にも書かれているので読んでほしい。
【参考】
大森捕虜収容所で捕虜たちはどんな食事をしていたのか
大森捕虜収容所の捕虜側指揮官は、終戦直後、日本側の食料に対する配慮に感謝していた
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