「グリーノックを出港して3日後の日曜日朝、船の汽笛と航空機の音で目が覚めた。
甲板に上ると艦隊が見える。米艦隊だ。駆逐艦、巡洋艦が数隻、戦艦、空母が各一隻。その艦載機が我が船団上を低空飛行し、バンクを振る。オロンセイが汽笛を鳴らす。耳をつんざく音量だ」これは
『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』の著者クラークが、輸送船オロンセイで英国を出航3日後、1941年11月2日に見た光景である。
空母はともかく、上陸戦でもないのに戦艦まで輸送船の護衛につくなんてことはあるんだろうか? 調べてみると、確かに戦艦ニューメキシコが護衛についていた。輸送船団の護衛任務につく空母は、護衛空母だろうと思っていたが、なんと正規空母のヨークタウン
1)だった。
この艦隊は1941年10月25日、レンドリース法により米国から英国に提供される輸送船6隻
2)を護衛するために、メイン州ポートランドを出港したTF14
3)である。
この護衛艦隊は、戦艦ニューメキシコ、空母ヨークタウン、軽巡2、新型駆逐艦9からなる非常に強力なもので、日本海軍に例えれば、輸送船6隻の護衛に、戦艦伊勢、空母蒼龍、軽巡最上型2隻、陽炎型9隻をつけるようなものだ。
一方のクラークの輸送船団CT5(8隻)
4)は、10月30日、スコットランドのグリーノック港からカナダのハリファクス港に向けて出港した。この二つの船団は北大西洋上で11月2日に会合し、護衛の艦隊が入れ替わって、輸送船団はそれぞれの目的地を目指した。それが冒頭のクラークの文章である。
日本に比べれば海軍力の大きく劣る独伊を警戒して正規空母までつけるほど、彼らの輸送任務の重要性についての認識は、日本と大きく異なっている。
そして、彼らの認識は合理的であった。この輸送船団は執拗に潜水艦に追尾され、進路を何度も変更し、艦載機による対潜哨戒と駆逐艦による水測および爆雷攻撃で、輸送船団を守り通した。
この時輸送船団を攻撃しようとした潜水艦のうちの1隻はイタリア海軍の潜水艦だったが、その艦長によると、海が荒れていたことと、その後強力な米海軍が護衛を引き継いだため、手出しできなかったという
5)。
日本海軍は防御だけでなく、攻撃においても輸送船団に対する優先度は低かった。それはシンガポール戦においても見られる。日本海軍航空隊は開戦劈頭、瞬く間に2隻の戦艦をマレー沖で撃沈してみせた。しかし、その後シンガポールが陥落する二カ月の間に、英軍は8船団延べ54隻の輸送船で人員4万名以上と大量の軍需品をシンガポールに陸揚げすることに成功している。それらの輸送船のうち、日本軍が撃沈したのはわずかに1隻、人的損害は20名程度で、乗船者のほぼ全員がシンガポールに上陸している。また撃沈したのは海軍ではなく、陸軍航空隊であった。その撃沈された1隻に、著者のクラークが乗船していたのだが、それについてはまた項を改めて述べたい。

『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人』
註
1) 空母ヨークタウンが搭載していたのは、VF-5(グラマンF4F-3ワイルドキャット18機)、VB-5(ダグラスSBD-3ドントレス18機)、VS-5(SBD-3ドントレス19機、ノースアメリカンSNJ-2テキサン2機)、VT-5(TBD-1デバステーター19機) 、その他、F4F-3Aが1機、航空群指揮官のSBD-3、汎用班のカーチスSOC-1、グラマンJ2F-1、J2F-4ダックそれぞれ1機を搭載。さらにSB2U-1ヴィンディケーター1機を入庫。
2) 英国に届けられる輸送船団(コードネーム“カーゴ”)は1941年10月28日、カナダのハリファクス港を出港。輸送船は米国のC2またはC3クラスのリバティー船6隻。
エンパイア・ピンテイル(オナガガモ) C3 7,773 GRT 商船時代の船名SS Howell Lykes
エンパイア・エグレット(シラサギ) C2 7,248 GRT SS Nightingale
エンパイア・フルマー(フルマカモメ) C3 Mod. 7,775 GRT SS Hawaiian Shipper
エンパイア・ウィジョン(ヒドリガモ) C3-E 6,736 GRT SS Exemplar
エンパイア・ペレグリン(ハヤブサ) C2-SU 7,842-GRT SS China Mail
エンパイア・オリオール(ボルチモアムクドリモドキ) C2-S-A1 6,551 GRT SS Extavia
3) TF 14は戦艦ニューメキシコ、空母ヨークタウン、軽巡サバンナ、フィラデルフィア、駆逐艦モリス、ヒューズ、シムス、ハムマン、アンダーソン、マスティン、ラッセル、オブライエン、ウォークで構成されていた。軽巡以外はその後太平洋で日本軍と戦っており、ヨークタウン、ハムマン、シムス、ウォークが撃沈され、オブライエンが大破ののち応急修理不全で沈没、ニューメキシコ、モリス、アンダーソン、ヒューズが特攻機により損傷している。
4) 船団CT5は、オロンセイ(総トン数2万トン、第251工兵中隊、第125対戦車連隊、第18偵察連隊、第196救急隊等3124名)、レイナ・デル・パシフィコ(1万8千トン、サフォーク連隊第5大隊、第18師団司令部等2452名)、オーカデス(2万3千トン、ケンブリッジシャー連隊第1大隊、シャーウッドフォレスターズ連隊第1/5大隊等3281名)、アンデス(2万6千トン、ロイヤルノフォーク連隊第4大隊、サフォーク連隊第4大隊等3169名)、ウォリック・キャッスル(2万トン、ノーザンバーランド・フュージリアース連隊第9大隊等1475名)、ダーバン・キャッスル(1万7千トン、1222名)、ダッチス・オブ・アトロール(2万トン、ロイヤルノフォーク連隊第5大隊、ロイヤルノフォーク連隊第6大隊等3128名)、ソビエスキー(ポーランド・1万1千トン、ケンブリッジシャー連隊第2大隊、第135砲兵連隊等2108名)の8隻の輸送船からなる。防空巡洋艦カイロ、駆逐艦ニューアーク、チャールストン、コールドウェル、ビバリー、バズワース、クロームの7隻がこのCT5の護衛任務についた。
5) イタリア降伏後、その潜水艦の艦長が捕虜としてシンガポールのチャンギ収容所に入れられた。その時、その潜水艦に狙われたCT5の1隻、ダッチス・オブ・アトロールに乗船していた第287工兵中隊のジェームズ・ブラッドレー中尉もチャンギにいて、その伊海軍士官から当時の話を聞いている。その伊士官はCT5の全輸送船の名前を知っていたので、ブラッドレー中尉は本当だと確信したという。
Bradley,James,
Towards the Setting Sun: Escape from the Thailand-Burma Railway, 1943, Anapolis: Naval Instutute Press, 2016, p.5.