※映画の話と誤解されるので、タイトル中の「アンブロークン」に(原作)をつけました。(2019.03.17)
 映画評論家町山智浩氏 |
映画「アンブロークン」の日本公開が決まり、そのせいであろう、以前町山智浩氏がラジオで語った
アンブロークン評がまたも大量にツィートされ始めている。
当時、影響力が極めて大きかった町山氏のアンブロークン評については、以前このブログで批判したことがあるが、今回はその後気づいたことを書く。
町山智浩氏、「アンブロークンは間違った情報で叩かれている」と間違った情報で叩く。「食人の儀式で生きたまま食われた」は小笠原事件のことではなかった。映画全米公開以前に問題視された、「アンブロークン」原作の「eaten alive in ritual act of cannibalism」=「(捕虜たちが)儀式としての食人で生きたまま食われた」の箇所は、町山氏によると捏造でもなんでもなく、事実だという。
「儀式で食われた」というのは、捕虜の米軍パイロットの肉を宴会で食べた小笠原(父島)事件のことであり、「生きたまま」というのが九州大学での捕虜生体解剖事件のことだそうである。
しかし、アンブロークンのその箇所の、4つの参考文献の該当ページを見ると、どれも小笠原事件や九大事件の記述ではなかった。
Cannibalism: James, p. 259; Tanaka, pp. 111-34;“Claim Japs Practiced Cannibalism,” Hammond Times, September 16, 1945; “Jap Soldiers Eat Flesh of U.S. Prisoners, Australia Discloses,” Abilene Reporter-News, September 10, 1945.ただ、そのうちの一つ、James BradleyのFlyboys(2003)については、アンブロークンに書かれた該当ページp.259は、食人とは関係のないドレスデン爆撃についての記述であった。ページ番号の誤植である。
259の3つの数字のどれか一つが誤植として、索引中のcannibalismの項目のページ番号と照らし合わせると、一致するページは、p.229だけであった。
そこから数ページ、ニューギニア戦の「ココダ道の戦い」で起きたとされる食人の話が出てくる。
その引用元は田中利幸(歴史学者・元広島市立大学広島平和研究所教授)の「Hidden Horrors」で、その本の「ココダ道の戦い」についての記述の中に、「ritual」という単語が出てくる(註1)。
ritualはそのままにして、その部分を翻訳すると次のようになる。
しかし、飢餓では説明できない事例が数多くある。
1942年後半、ココダ道の戦いで豪州兵に対するカニバリズムが起きており、1943年2月には、カニバリズムにより切断された日本兵の死体が見つかっている。
どうしてこんな初期の段階で、そんなことが起きたのだろうか。
この当時、日本軍の食糧供給は十分ではないにせよ、飢餓が生じるほど悪化してはいなかった。
ココダ道の戦いにおいて豪州兵たちは、カニバリズムが発生した地域で、戦死した、あるいは捕らえた日本兵が米や干物をもっていたと報告している。
これらの事例は、明らかに飢餓によるカニバリズムではない。
別の説明が必要である。
近くにいる敵の姿が見えない、といったジャングル戦の特殊な状況下では、短時間のうちに耐えがたい緊張状態をもたらし、そんな緊張状態が集団的狂気を加速させ、ritual的様相を呈したカニバリズムなどの残虐行為が発生する、ということはあり得る。
飢餓ではない状況でのカニバリズムは、それが族外食人か族内食人かによって、異なるritual的意味をもつ。
日本兵が豪州兵を食べるといった族外食人の場合、殺した敵を食べるのは、戦利品に対して英雄がするにふさわしい行為といった側面があった。事実、戦後、豪州兵に対する食人行為で裁判にかけられたある日本兵は、自分は豪州兵を憎んでいたので、その肉を食べたと証言している。
日本兵が戦死した戦友を食べるといった族内食人は、おそらく、死者と生者が繋がることで、集団内の結束を再認識する働きがあったのだろう。要するに、
「日本軍は飢えてもないのに、敵の死体も味方の死体も食べていた。それにはritual的な意味があったのではないか」という内容である。
ここで問題は2つある。
一つは、田中氏の本では、あくまでritualを「推測」として述べているのに、ヒレンブランドは「事実」として書いている点である。
もう一つは、田中氏がいうritualと、米国人が認識するritualが同じものなのか、とうい点である。
私が、「ritual的様相を呈した」と書いた部分は、Hidden Horrorsの日本語版では、田中氏は、「儀礼的意味が付与されていた(とも考えられよう)」と書いており、田中氏は日本語の儀礼(儀式)をritualに置き換えたことがわかる(註2)。
ロングマン英英辞典によるとritualの意味は、
1 a ceremony that is always performed in the same way, in order to mark an important religious or social occasion
大切な宗教的、社交的な場を祝うために、常に同じやり方で行われる儀式
2 something that you do regularly and in the same way each time
普段、いつも同じやり方で行う何かとある。つまりritualは、以前から同じやり方で何度も何度もくり返し行われているものというニュアンスがある。
また、政村秀實著「英語語義イメージ辞典」では、ritualのイメージは
「お決まりの」「決まりきったやり方」とある。
ラジオの英会話番組のブログで、ritualを使った例文があったので、それも見てみよう。訳文もそのブログのものである。
Japan’s weather agency is to stop giving forecasts for the start of the cherry-blossom season , one of the country’s annual rituals.
「気象庁は日本のしきたりのひとつであった桜の開花予想を取りやめることにしました。」
Every new year , people go to shrines which is a ritual in Japan.
「毎年、新年日本では習慣として神社に行きます。」ここでは、ritualは
「しきたり」や
「習慣」と訳されており、「ロングマン英英辞典」でのritualの定義や「英語語義イメージ辞典」のritualのイメージと同じである。
では、町山氏はritualについて何と言っていたか。
「(小笠原事件は)敵を食べるっていうことでの士気高揚を目的とした宴会でやってるんですよ。だから『儀式として』って書いてあるんですよ……日本が伝統的に食人の習慣を持っていたっていう風に批判してたんですけど、そういう意味じゃないんですよ。これ。酒盛りでやったからなんですよ」すでに述べたように、アンブロークンのカニバリズムについての参考文献の該当箇所に、小笠原事件の記述はなかった。そして、小笠原事件が日本語で儀式と呼べるとしても、習慣的な儀式を意味するritualには該当しない。
アンブロークンに書かれた、ritual act of cannibalism はむしろ、町山氏が「そういう意味じゃない」といった「食人の習慣」的儀式行為という意味に米国人は受け止めるだろう。
町山氏のいう「宴会」や「酒盛り」に置き換えるのであれば、「習慣的な食人の宴会、酒盛り」としなければならない。
Hidden Horrorsのritualを使用した箇所を私が要約した文で、ritualを習慣的儀式と置き換えると次のようになる。
「日本軍は飢えてもないのに、敵の死体も味方の死体も食べていた。それには習慣的儀式の意味があったのではないか」ritualという単語を使用することで、日本人に食人の習慣があるように、米国人は認識するだろう。
そして恐るべきことに、実際にそのように認識した外国人の書き込みがインターネット上で見られるのである。
第二次世界大戦関連の二つのサイトのフォーラムでは次のような書き込みがあった。
http://www.ww2incolor.com/forum/showthread.php/3503-Japanese-cannibalism
「田中は、日本兵が死んだ仲間を食べるのは、同志愛およびその死を保つ神秘的なritualとして説明している。連合軍兵士に対する食人は、パワーの獲得と戦闘の緊張に打ち勝つためのものとして説明されている」http://www.ww2f.com/topic/30800-japanese-cannibalism-against-allied-other-pows/
「……日本の礼節ある男たちにとって、死んだ日本兵に対するカニバリズムは、死の記憶を保つための神秘的なritualであり、同志愛の形だったからだ。連合軍兵士に対する食人もまた、戦う力、精神を得るものと見なされた。カニバリズムを禁止する日本軍の命令でも、死んだ敵を食べる行為は除外され、その場合、そのpracticeは『問題なし』と書かれている」
※practiceは「英語語義イメージ辞典」によると「(ものごとを目的を持って)いつも行う、よくやること」
最後に、今回取り上げた点について、アンブロークンやHidden Horrorsの問題点を整理しておく。
1.ヒレンブランドは「(捕虜が)ritualとしての食人で生きたまま食われた」と書いているが、参考文献で確認すると、「ritualとしての食人」と、「生きたままの食人」という異なる話を結びつけており、「ritualとしての食人で生きたまま食われた」事例についてのソースがない。
2.「ritualとしての食人」のソースと思われる「Hidden Horrors」では、ritualとしての食人ではないか?という推定でしかなかったものを、ヒレンブランドはそれを事実あったものとして断定的に書いている。
3.「ココダ道の戦い」で、飢餓状態ではない日本軍が日豪兵士の死体を食べていた、と「Hidden Horrors」の著者、田中利幸氏は書いているが、「ココダ道」の原住民には食人の風習がある。しかし田中氏は、原住民による食人の可能性をまったく検討していない。
4.田中氏は、習慣的行為ではない食人「儀式」を、習慣的行為を意味する「ritual」に置き換え、その単語がアンブロークンで引用されたため、日本人に食人の習慣があるかのような誤解が世界中に広がった。
5.アンブロークンは「生きたままの食人」事例の参考文献を2つあげているが、どちらも裏付けをとるのが困難で、その信憑性に疑問符がつく。
6.町山智浩氏は、「アンブロークンには日本人に食人習慣があると書かれている」という批判を覆すことに成功したが、それは詭弁でしかなかった。
7.映画アンブロークンの日本公開を前に、町山氏の詭弁がまた大量に拡散され始めた。
註
1.Yuki Tanaka, Hidden Horrors: Japanese War Crimes In World War II, Westview Press, 1997.
2.田中利幸著「知られざる戦争犯罪―日本軍はオーストラリア人に何をしたか」大月書店、1993年.