戦中、戦後の思い出…「父が出征していたころ」「戦時中の子供のあそび」他
- 2016/01/20
- 19:12

前々回、進駐してきた米兵が掛け軸をほしがり、書いてやったらアメリカさん大喜び、しかし、書かれていたのは「日本大勝利」で日本人も大笑い、という短い手記を紹介した。(終戦直後、上陸してきた進駐軍にささやかな抵抗を試みた日本人)今回もそれが掲載されていた「わかうら 百年のあゆみ」からの抜粋である。短く、ぎこちない文章だけれど、なぜか心に響いてくる。父が出征していたころ兄が小学三年生、私は七才、弟は四才と...
産経新聞が報じた「慰安婦=性奴隷」を否定するラバウル豪州人捕虜手記の真相【黄色い奴隷売買の犠牲者】
- 2016/01/19
- 09:32

以前産経新聞で、「慰安婦=性奴隷」を覆す元捕虜の手記が取り上げられていた。産経の記事の内容は次の通りである。「ラバウルの慰安婦、快活だった」豪州人捕虜の手記紹介 拍手で盛大に見送られ…「性奴隷」説ほど遠く 南太平洋にあるニューブリテン島のラバウルで1942年から旧日本軍の捕虜となったオーストラリア人の慰安婦に関する手記が、米ハワイ大マノア校のジョージ・アキタ名誉教授の講演で紹介された。手記は、慰安...
終戦直後、上陸してきた進駐軍にささやかな抵抗を試みた日本人
- 2016/01/15
- 21:24

終戦後、大阪湾はB29によって大量の機雷が投下されていたため、連合軍は上陸できず、和歌山から上陸してきた。その上陸の様子を見ていた、当時小学生だった方が残した手記がある。子供の視点で書かれたこの短い文章の中に、非常に興味をそそる話がいくつか含まれていたので紹介する。和歌山に上陸する米軍。LSM-1級の中型揚陸艦が見える。洋上に艦船多数。進駐軍が来た終戦の年の九月か十月の頃やった。私はちょうど六年生やった。...
「アンブロークン」には日本軍が各地で女性をさらい「性奴隷」にしていると書かれている
- 2016/01/11
- 16:27

今回も世界中に拡散した「性奴隷」の話である。前回、「アンブロークン」に性奴隷の話があると書いたが、それは以下のような内容である。ローラ・ヒレンブランド著「アンブロークン」ルイ(ザンペリーニ)は二人の警備員に独房から引っ張り出された。クェゼリンに連れてこられ、独房に放り込まれてから約1週間が経過していた。彼は恐怖で顔が熱くなった。処刑されると思ったからだ。彼は士官用と思しき建物の方に連行される時、そ...
「慰安婦」日韓合意のおかげで、「性奴隷」を嘘という方が嘘つきという状況に…
- 2016/01/11
- 14:23

「慰安婦」日韓合意去年暮れの慰安婦日韓合意の時、米国に滞在していた青山繁晴氏によると、米国では、「日本政府は、日本軍が韓国の女性をsex slaves(性奴隷)として使っていたことを認めた。それで謝罪し、10億円という大金を補償した」と報道されているという。「日韓合意」「おわび」は、海外でどう伝えられたか【青山繁晴】オーストラリア在住の方のブログでは、イギリスの大衆紙Sunの記事が紹介されていたが、その記事のタ...
「君は美しい顔ではなかった。しかし…」巣鴨で処刑された「戦犯」が妻に残した遺書
- 2016/01/08
- 14:37

今回も巣鴨で処刑された「戦犯」の遺書について。直江津捕虜収容所では60名もの豪州人捕虜が死亡し、その責任を取らされ、8名もの日本人が処刑されている。そのうちの一人、軍属の鈴木賞博(よしひろ)氏は、日中戦争で左足に弾丸を受け、関節が動かず、左右の足の長さが10センチも違うようになり、正常な歩行はできなくなっていた。捕虜たちはHoppyとあだ名したが、おそらく歩く姿を揶揄したものだろう。直江津収容所に勤務...
原爆で家族七人が全滅した後、巣鴨で絞首刑にされた「戦犯」の遺書
- 2016/01/05
- 23:47

原爆投下後の長崎今、巣鴨遺書編纂会編「世紀の遺書」(1953年)を読んでいる。戦後、戦犯として処刑された方々の遺書を集めたものである。内容が重すぎて、一日にたくさん読めない。まだほんの一部しか読んでいないが、強く印象に残った遺書があった。福岡俘虜収容所に勤務していた頴川(えがわ)幸生元海軍上等兵曹の遺書である。昭和23年8月21日、巣鴨において刑死。38歳。福岡俘虜収容所相当分所(佐世保)では、5...