大森捕虜収容所の捕虜側指揮官は、終戦直後、日本側の食料に対する配慮に感謝していた
- 2016/12/14
- 13:30

以前、「大森捕虜収容所で捕虜たちはどんな食事をしていたのか」で、英陸軍兵卒の捕虜ハリー・ベリーの日記から、大森収容所に来て間もない頃の食事内容を紹介した。その内容は、アンブロークンが書いているような酷いものではなく、ベリー自身が評価を付けている食事の、約8割で、「うまかった」と書いていた。今回は、その後1944年6月15日に日記を再開して以降の食事の記録を取り上げたい。まず、朝食。空白は、食事の記...
芝浦の日本人作業監督は捕虜たちを奴隷のように扱っていたのか?【アンブロークン】
- 2016/12/10
- 20:19

バードこと渡邉伍長の凄惨な暴力は映画版のおかげで有名になったが、「アンブロークン」には、それ以外の日本人もバードと同様、暴力的な存在として描かれている。その中では、日本人は捕虜を、連日何の理由もなく暴行し、捕虜がかわいがっていたアヒルを強姦して殺し、捕虜を銃剣で脅してウジ虫がわいた魚を強引に食わせ、捕虜の前でいじましくコーラを見せびらかせながら飲んでみせ、捕虜の各部屋を回ってドアを開け片脚を上げて...
大森捕虜収容所の捕虜たちはどんな過酷な労働を強いられたのか その3
- 2016/12/10
- 07:52

アンブロークンが過酷な奴隷労働と呼ぶ鉄道での作業は、実際のところどういう作業だったのか?前回は、主に鉄道(芝浦貨物駅)で作業していた時期の、英国人捕虜ハリー・ベリーの日記を紹介した。今回は、ベリーの親友デリク・クラークの著書「No Cook's Tour」からの引用である。クラークの状況はベリーと同じで、最初は重労働に耐える体力がなかった。1943年12月、クラークが初めて小名木川貨物駅で作業したときは、米俵を...
大森捕虜収容所の捕虜たちはどんな過酷な労働を強いられたのか その2
- 2016/12/09
- 08:19

前々回、捕虜ハリー・ベリーの日記を元にして、大森収容所の捕虜の労働が、アンブロークンで描かれているような、奴隷のような強制労働というイメージとはかけ離れていることを示した。しかし、前々回示した日記の期間、ベリーは「ビーチ」と呼ばれる楽な作業現場で働いている日が多く、それは例外的な話で、もっと厳しい作業現場で働く捕虜たちは、奴隷のような扱いを受けているのではないか、と疑問をもたれた方がいるかもしれな...
路面電車に100人の捕虜を乗せることは虐待なのか
- 2016/12/07
- 11:34

日本が戦争に負けた結果、戦前戦中を語る際、日本人の思考はとても窮屈な、狭い枠組みの中に押し込められてしまった。先の慰安婦日韓合意では、日本政府は、韓国に対して国の関与を認めて謝罪し、賠償金を払った、と世界が受けとるような声明を発表した。日本人を狭い思考の枠組みに押し込めるその力は、全く事実に反する慰安婦問題に対しても、日本政府に否定を許さないほど強力なものである。その枠組みの中では、朝鮮人といえば...